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マーティン・ギルクス Q & A 2003年3月

the original text can be found athttp://www.thewonderstuff.net/questions1.asp
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どうしてウェラーはモリッシー・バージョンのthat's entertaimentの方がワンダー・スタッフのより気に入ったと思いますか?

僕らのはオリジナルに忠実すぎたんだろうね、モリッシーはアレンジ変えてるから。僕らのは同じスタジオ・同じエンジニアさ!

気に入った理由ねぇ。ポールに聞いてよ、作曲者なんだから。すごくいい曲だろ, huh?

ジョー・ストラマーに出会ったそうですが、どういうわけで?キース・アレンもいましたか?

Finsbury Parkのバックステージで。ボロい椅子に座ってたら娘が跳びかかってきて、その勢いで二人とも地面に傾れ込んでしまったのさ。ジョーが娘を抱えあげたから、僕より先に娘がジョーに出会ったってことになるね。すごく典型的。20年かかってやっとヒーローに会えたよ、Lallyには先越されたけど!

僕らのバックライン・ヒーローと言えば、Digby(Cleaver)。彼はクラッシュの結成当時から携わっていた人物なんだ。クラッシュがGigbyにとって最初の仕事。彼にとってジョーはとても大きい存在なんだ。

Digbyは本当の紳士で、しかも素晴らしいソングライターだった。ジョーが亡くなって、この先も彼は誰より悲しみ思い出に耽るんだろうね。

アレンさんには会ったことはないよ。

ワンダー・スタッフの初めてのギグの客の人数は?

50人かもう少しかな。出番が早くて寒かったけど、本当はあまり記憶にないんだ。ラガー・ビールとアドレナリンがミックスしたせいで記憶がどこかに飛んじゃったらしい。怖くて人数なんて数えられなかったよ、なんたってJB'sだからね!

JB'sでは定期的にステージに立ってた。僕、マルク、マイルス、そうだなぁ、Black Country辺に住んでて音楽やってるヤツならだれでも定期的に出てた。基本的にはね。で、そこでプレイする他のバンドをこき下ろしてさ、楽屋でもみんなそうだった。JB'sていうのはさ、どうやって表現したらいいかな、冷たい歓迎で有名!

ステージはちゃんとやったけど、Samに帰れって言われたよ!

Ruby Horseの逸話はありますか?

マイルスに聞くのが一番いいんじゃない、もっとも逸話なんてありゃしないだろうけど。

あのドラム・パターンはDevoをパクってやろうとしてああなったんだ、マルクからDevoを覚えろって言われたけど、Devoのレコードなんてまともに聞かなかった。もともと宿題ギライでさ。全然練習せずにリハーサルに行ったよ、実際叩いてみて・・・それから考えるんだ、今でもそう。僕はドラムを叩くためだけにリハーサルに行った。失敗もあればうまくいったこともある。あまり深く考えない方が、プレイを本当に楽にしてくれることもあるんだ。

僕の人生の話かな、ちょうどあれは。

どの曲に一番誇りをもっていますか?どんな曲が書けたらいいなと思いますか?

僕らがやってきた全てが誇りさ、プロデュースするようになってからは全部。Piece Of Skyは今ではBobの曲だけど、ライブでやるといつも他の曲より感動するんだ。これはマイルスと同意見なんたけど初期のSong Without An Endのレコーディングの出来には今でも納得してない。そういう意味であんなタイトルになったんだろうなぁ。

バンドお気に入りの会場は?イギリスと海外では?

Brixton Academy。ロンドン。最近になって気付いたんだけど、あそこはヨーロッパでは最大の屋内ステージなんだね、知ってびっくりしたよ。知らなかったなんて鈍感?

マネージメント業に入ったきっかけは?マネージメントしたいバンドをどうやって決めるのですか?

理由はいろいろ。

娘のBarneyがどんどん成長していくのにいてやれなくて、寂しく感じてたんだ。それにツアーもやりたくなかったし、セッション・プレイヤーになれるほどの腕もないし。

もうドラムはやめて他のことをやろうって決めたんだ、変化が欲しくて、だけど何していいかなんてさっぱり分からなかった。2、3年メンバー全員が楽に過ごせるくらいのレコード・セールスをしてきたからよかったけどね、あとは運命に身を任せたよ。

10年もバンドやってればたくさん経験が積めるものさ、しっかり周りを見て耳を傾けていれば。
以前はデザイン・エンジニアをやってたこともあるよ、貯水槽内部のプラスチック部品の。
あれには戻る気がしなかったな、魅力を感じなくなって。本当の事を言うと、一度バンド経験があると仕事に就こうなんて気は起こらなくなるよ!

レコード会社と話そうとしたんだ、音楽プロモーションを考えてたから、だけど誰も僕を雇ってくれなかった。Food RecordsのDave Balfeは真摯に話を聞いてくれて、マネジメントを本気でやってみたらどうかって提案してくれた。最初はそんなの考えられなかったけど、最高で唯一の助言になったね。

ちょうど同じ頃、偶然なんだけど、マイルスと僕の弟がやってたFATRRというレーベルが終わりそうな時期だった。ポリドールは完全にどうかしてたね、敬意なんてないよ。僕は率先してその件のケリをつけてやって、それでFATRRで働き出したんだ。当時Aがマネージメントに問題を抱えていて、弟のTankはFTARRと契約させようとしていた、契約がうまくいきそうなのは目に見えていた。弟はチャンスに飛び込んでいったんだ。その後すぐにCableが現れると、彼らのマネージメントをすごくしたくなった。僕はマネージメントを担当することになって、急遽Furtive Managementが誕生したのさ。Reefが加わったのはその6ヶ月くらい後だったよ。

今月でちょうど7年前だな、それ以来この仕事で食ってるよ!

僕らがバンドに求めるもの?

いい曲、独特な声を持ったボーカル、いっしょにやっていこうと思わせてくれる面子。そして他にも300もの様々な要素がある、まずはステージに立った時の魅力だけど・・・。
TankはCableを引き受ける前に言ったんだ、マネージメントとは子供を養子に引き取るようなものだってね。うまい例えだよね。引き受ける前に長い時間かけてよく検討するんだ、絶対あきらめたくないから。

現在AとRaging Speedhornをマネージメントしていますが、新しいタイプのパンクが好きなんですか、最近イギリスやアメリカで出てきてるような。The StrokesとかThe Datsunsみたいな方が好きですか?

今ちょうどMu'mのアルバムを聞いてたところなんだ、Orange Countyの13歳のスケボー少年なら僕のことを時代遅れのインディーズとかヒッピーって呼ぶんだろうな。間違っちゃないけど、僕はずっと自分は客観的だって思いたいんだ。結局、パンクの中に新しいものなんてないんだ。パンクっていうのは姿勢の問題だから。Lowgoldなんかはウエスト・コースト・ミドル・クラスのどんな音楽よりパンクだよ、曲だっていいし。そうは言っても、人の好みは様々だから、言い切れるものでもない。 僕に決める権利なんかないだろ?

僕は38歳だけど、もし僕がSum 41を気に入ったら・・・きっとSum 41は世間から違う受け止められ方されるだろうね、半端じゃなくね!
もっといい例を挙げようか、それは「僕はRaging Speedhornとは仕事をしない!」

前に脱退したThe Mighty Lemon Dropsは好きでしたか?例えば音楽の面で。

最後のレコードは自分のためにはならなかった、トニーが脱退したとき、悪くなっていくばかりじゃないかって感じたし。だけどドラム叩かなくてよくなったっていうのが一番よかったことかな。

今現在最高のドラマーと言えば?

僕とGomezのヤツ。

記事で読んだところでは、89年にグラストンバリーに出てからずっとまた出たいと思ってるそうですが、一度もかなってません。今年はどうでしょう?

頼まれようが頼まれまいが、すぐにでもやりたいところだよ。今でも最高のフェスティバルだと僕の中では思ってるからね。
だけど今年はないね、今ごろはもうプログラムは決定してるだろうし。またやれたらね。

ライブをキャンセルしたことがありますか?プレイできたらと未練を残しながら。
それはどのライブですか、どうしてキャンセルしたんですか?

僕らのマネージメントとエージェントはよかったよ、何でも欲しいのもはほとんど手に入れられたし、信頼できてためになるアドバイスもしてくれた。
僕らはオーストラリアと日本のツアーをキャンセルした、フェニックス・フェスティバル直前の。
僕はマイルスとそのことで大もめにもめた。
だけど過ぎ去ってしまったことだし、後悔はないよ。

プレイした中で一番嫌いな会場はどこですか、その理由は?

好きな会場しか覚えてないな、さっきも書いたけど、マネージメントとエージェントがよかったから。だけど94年のOrange CountyのThe Capistrano Coach HouseでのThe Chicken In A Basketとのジョイントは忘れられないな。別に会場のせいじゃないんだけど、あの日本当に敵にまわしてしまった人達もいた、マネージメント、プロモーター、セキュリティー、レーベル、ロサンゼルス・タイムス。僕らはパンクのために最高のことをやった。

関係者じゃない人、つまり僕達のレコードを買ってくれるような人達が後ろの方に追いやられてしまったんだ。コンテストの勝者とかステージ横のテーブルで何か食ってるプレスとかのせいで。
馬鹿げてるよ。あれは関係者のためのショーだったね、僕らは関係者のためにショーをやるつもりなんてはなからないのに。Whoops!微弱な信頼関係の崩壊、それを世間では”マネージメントされてる状態”って言うんだ。

僕らは猿回しの猿みたいな気分がしてたよ。マイルス、幸多かれって思うけど、彼は15ミニッツをやめた後カッコ悪い道を駆け上がっちゃったよね、Spinal Tap(イギリスのバンド)みたいな態度で何のお構いもなく。
次の朝見たHELLO AMERICA!(アメリカのガイドブック)の3ページ目、その見出しには「このバンドを見に行ってはいけない」って書いてあったような気がする、馬鹿みたい。

スティーブと話さなきゃ、僕らのアメリカでのマネージャーなんだけど、きっとそのコピーを持ってるに違いないよ!

アメリカ・ツアーの予定は

今のところはないけど分からない。ロザンゼルス・タイムスに布をかぶせておいてよ!

”再結成しよう”と最初に持ちかけたのは誰ですか、他のメンバーの最初の意見は?

話に乗ったのは僕が一番最後だったね。長いことツアー・マネージャーをやってくれてるShaun Martinが99年の夏に結婚して、その式の時僕らは日なたで壁に座ってたんだ。僕とFiddleyで。僕はその時まで再結成のことにかかわる気はなかったんだ、あまりにたくさんの事柄が個人的に進行中だったし、だけど、どうしてかな・・・その時すんごく酔っ払っててワケが分からなくなってたのかも。何はともあれ、僕らは皆また友達に戻ったってこと、それがいつでも一番大切なんだ、あの日はそれで納得できたんだ。

他のメンバーがどう思ってたかは分からないな。

2-3年の間なら”昔の同じ曲”(悪い意味じゃありません)で続けていけると思いますか?私達全員(忠実なファン)に新曲を聞かせてくれてもいいと思いませんか?私達ファンは同じ曲を聞くのに何度でもお金を払い続けるでしうょうが(もちろんずっと続けるでしょう)、数曲でも「新しい」曲が聞けたらうれしいなぁと思うのですが。

まったくその通りだと思うし、悪い気はしないよ、バンドだってやぶさかでないだろう。
だけどもう語り尽くされてるから・・・。

こんなところでいいかな?じゃぁ、ベッドに入るとするよ。

LAST_MODIFIED : July 11 2007 JST